産経新聞の最終日曜日、書評欄に「
文芸時評」と題したコラムが掲載されます。書き手は早稲田大学教授の石原千秋氏。新人作家たちの作品の出来不出来を誉めたり、時には容赦なく貶したり、理系の私でも楽しく読める現代文学のコラムです。昨日、中央図書館3階で何気なく学会誌の表紙を眺めていたら、石原氏の論文が掲載されていました。拝読してわかったことは、石原氏の授業の中には、所属する学部に関係なく誰でも聴講できる講座があり、氏もまた理系の人でもわかりやすい授業内容に徹しているということ。毎月のコラムが楽しく読める理由がわかりました。新聞は年齢性別関係なく読者が存在しますから、当然といえば当然です。
さて、この論文の後半で興味を引く文章がありましたので、以下に抜粋します・・
「文学・語学」第221号
全国大学国語国文学会事務局(会員頒布)2017年12月25日号
「実証という名の鎖国主義」早稲田大学教授 石原千秋 34~35ページ
「文化は不変ではない。テクノロジーによって変質しながら生き延びることもある。写真はデジタル技術によってフィルムが使われなくなっても写真である。
これからの映画はCGなしには生き延びられないだろう。そして文学も電子書籍が一般化しない限り生き延びられないだろう。人間の感性がテクノロジーによって変わることもある。
(中略)文化を楽しむことは、文化をそのまま受け入れることだが、論じることは文化を解剖し、ある時にはそれに異議申し立てすることだ。それには私たちの無意識をも白日の下に曝す覚悟がいる。・・」
文章中の「文化」という文字を、「紅茶」に置き換えて読むとどうなるだろう。
時代とともに変わるべきは、紅茶の在り方そのものではないでしょうか。
不特定多数の人に、紅茶の美味しさを本当にアピールできているのか?
ティーポットでの紅茶の提供は、忙しい今の時代にあっているのか?
テクノロジーによって紅茶が変わるべき点はないのだろうか?
紅茶を解剖し、異議申し立てするべき点はないのだろうか?
テクノロジーによる変化を期待しつつ、自店が特許の申請をして20年が経過しました。
今年新たに蓋椀を購入し、中国紅茶の提供を始めました。
特許抽出器具は本体と茶こしで40グラム。磁器製蓋椀は最も小さなサイズで本体60グラム。蓋椀を日々使う中国の人たちは、抽出時間中に高温を維持する重要性を知っていたのです。武夷山桐木関の正山小種の蓋椀での抽出は、3グラム100㏄100度30秒です・・これが「紅茶を解剖した結果」です。目から鱗ですが美味しく抽出できます。
イギリス紅茶の優雅なイメージにしがみつく陶器屋さん、内実を伴わない高価な茶葉を売る葉っぱ屋さん、外観重視の小売店と踊らされる消費者、どうしようもない今の日本ですが、インターネットというテクノロジーの普及によって、わずかではありますが光明が見えてきた感があります。雲南省の茶摘み風景は瞬時に世界中へ配信され、蓋椀の使い方はYoutubeで勉強でき、茶葉の品質は分析され公開される。真贋は科学的に判断され、内実重視の少数派個人農園は、ネット販売で活路を見い出し、賛同者を増やす。
先月、ご来店された大阪の紅茶店の方が言っておられました。
「皆さんに、紅茶についてなかなか興味を持ってもらえなくって・・」
本当かなぁ、時代に応じて紅茶を提供する側が変えるべき点は、多々あるような気がします。30年前には、エスプレッソもラテアートも需要は無かったですし・・。提供者が新たな切り口で、需要とブームを作り出すのです。変わるべきは紅茶のお店側です。
まったり2時間600円、皆さん美味しいとおっしゃられます。半面、磁器製の蓋椀は落とすと割れますので、お客様が怖がって使ってくれません。熱いですしね、ちょっと誤算でした・・・
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