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2010年5月15日 (土)

彫刻家と音楽家

今日夕方4時頃、久しぶりに何かがシンクロしたので・・。
1.いま、図書館で「深夜特急(沢木耕太郎著、新潮社刊)」を借りて読んでいます。インドからイギリスのロンドンまで、著者がバスで1人旅をした時の旅行記です。バックパッカー必読の本。そんな人まれだと思われるでしょうが、私の友人(同い年、女性ですよ)にも、日本一周自転車旅行の後、韓国に渡りインドまで大陸に沿って旅をした人がいるのです。今日のニュースでは、オーストラリアの16歳の少女がヨットで単独、無寄港、無支援の世界一周に成功。世の中すごい人がたくさんいるなぁと思います。
それはさておき、
「深夜特急」の第3巻(1992年初版)の231ページあたり、もうすぐ旅の終わりのフィレンツェのアカデミア美術館。著者がミケランジェロの彫刻に出くわした場面の言葉が印象的でした。ちょっと引用させていただくと・・
「いや、それは作品とは言えないものだった。石の塊、というのが最も実体に近い。・・半分どころか四分の一ほども彫られていない。大理石の塊に男の体がレリーフのように浮き出ているだけだ。しかし、それは未完であることによって、大理石と像との関係が、だから素材と作者との関係が、劇的なほどに鮮やかに炙り出されていた。
それはまるで男が大理石に囚われているようだった。・・・ミケランジェロの振るうノミのひとふりが、男に肉体を与え、生命を吹き込んでいったのだ。・・その時、ミケランジェロは神に近い存在となる。大理石の男にとってはミケランジェロこそが神である、といってよい。」
どんな像かは、下記HPのスクロールした最後の像だと思われます。
http://p.bunri-u.ac.jp/~dojo/kaigai/Firenze/Firenze_3.html

2.私も以前、同じような経験をしたことがあります。名古屋から東京に移動中に途中下車し、静岡美術館で「ロダン展」を見学したときのこと。多数ある大理石の彫刻の中で、作成途中の荒っぽい痕跡が残ったままの作品が数点あり、まさに大理石という石の塊の「無」の状態から、ノミ一本で「生命」がここに誕生するという一歩手前。未完であるからこそ「これが彫刻か!」と、他の完成作品よりもずっと長時間眺めていました。更に驚いたのは美術館で買った「ロダン展」の解説文。「ロダン大理石彫刻展(静岡県立美術館、1994年)12ページより、ちょっと引用しますと・・
「・・複数の新聞が次のようなロダンの「いささか逆説的な芸術論」を伝えている。それは、「それぞれの大理石塊の中には、彫刻が埋まっているのであり、それを見つけ、余分なものを削ぎ落として、それを取り出すだけでよいのだ」という主張であった。・・言い換えれば「・・素材から取り去るヴォリュームをなるべく最小限に留め、一つの石塊の凝縮された闇の中に隠された永遠の美の神秘のように、そこに再現されるよりも暗示される存在を取り出すことにある・・」大理石の中に埋まってる生命を取り出すのですねー。
全く同じではありませんが、下記HPのような作品です。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/kikaku/093/1.htm

ミケランジェロとロダン、両者とも神には違いありません。大理石彫刻の作品は、数百年の時を超えて、作者が直接私たちに語りかけてきます。地震その他の外的アクシデントとがなければ永遠不滅の世界ですね。

3.さて、「深夜特急」の文章に出くわした夕方4時頃、何が起こったかといいますと・・
10時3時BGMで流しているクラシック番組の中の対談中の会話で次のような解説があったのです。
「クラシック音楽の世界は、現代のファミリーレストランに似ています。ファミリーレストランには、料理作った人がいないんですよ。食材が冷凍で届き、マニュアルに従って店員が組み立てる。味の加減は店長の仕事。作者不在なんです。クラシック音楽も似たところがあって、作曲家は、楽譜(=マニュアル)を残す。コンサートでは楽譜をもとに、指揮者(=店長)が各演奏者(=店員)に指示を出しアレンジ(=さじ加減)しつつ演奏する。作曲家の意図は勉強しても本当のところは100%はわからない。作曲家本人の指揮した演奏を聴くことはできませんので、残存資料から推測するしかありません。」このようなお話でした。

音楽は、聴いた端から消えてなくなるもの。
作曲家の意図は、楽譜を通しても完全には伝わらない。
指揮者や演奏家、楽器の力量や個性が、逆にそれぞれのコンサートを楽しくさせる部分もありますが、それはちょっとここでは置いておきます。
作者の意図が時を越えて伝わる彫刻、伝わらない音楽。

4.10時3時のお店をやっていて、常に心がけていることに「創造的、クリエーターとしてこれまで前例のない紅茶店を!」というのがあります。
例えば、何気なーく皆さん普通に320円でカップに入った紅茶を飲まれていますが、これって他の都道府県の普通の紅茶店ではありえないことなんですよ。紅茶のことを多少勉強して知っている人は、びっくりします。こちらでお出ししている紅茶のカップティー、アイスティーは独自で開発し特許を取った抽出器具を使っています。土台となる物理法則や開発済みの素材はあるものの、前例のない顕著な発見がないと特許は取得できません。何もない「無」から「有」への創造の世界が特許の世界。まさに大理石彫刻です。ただ、私の従来からの考えでは「茶葉は、今の世の中、そんなに悪いものは出回るはずがない。ネックにあるのは抽出方法であって、茶葉の特徴(キャラクター)が100%発揮されれば十分だ!」というのがあります。茶葉に隠れているキャラクターを、熱湯の中に現出させる。「隠れているものを、取り出すだけ」これはロダンの考えですね。
一方、ケーキレシピやジャムの作り方などをせっせとBLOGで公開してるのは、音楽家の残す「楽譜」にそっくりです。15年いまだに試行錯誤でお作りしている手作りジャムですが、「同じような苦労や失敗しないように」と、こちらの意図が正確に伝わるように記事は書いているつもりです。ただ、BLOG読まれた方に正確に届くかどうかはわかりません。読まれた方のアレンジ次第でもっと上手になるでしょうし、そのほうが楽しいでしょう。私自身も、せっせと検索してはネット上のレシピを参考にしますが、そのまま使うことはあまりないですね。多少アレンジしたり代替品を使ったりしますので。また、ケーキを作る側の経験やひらめきができあがりに大いに影響しますので、そういう意味でも、ケーキレシピはまさに「楽譜」。
紅茶そのものも、音楽に似ているかも知れません。同じ茶葉を使っても、作り手によって味が違いますし、時間が経てば飲んで「無」になるもの。喫茶店は、ライブハウス。毎回同じ味の紅茶がほしい人は、ペットボトル飲料をどうぞ。ペットボトルはCDやカセットテープ。大塚ジャワティーなど、ペットボトルいり紅茶飲料もたまにいいのがありますが・・。

こんなことを感じた1日でした。

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